道の駅北川はゆま

スパイダー・バース

映画

2018年の年の瀬に各国で公開され、批評家からも興行的にも大成功を収めた傑作中の傑作。革新的な映像をふんだんに取り込み、アメコミと映画が真の意味で融合した全く新しい次元で繰り広げられるスパイダーマンの物語。

■ロゴシーンとオープニングクレジットに隠された意味

この映画はオープニングがとにかく素晴らしいですね。いや厳密に言うと本編に入る前のロゴシーンでこの映画はこれまで観たことのない映像世界に観客を放り込みますよという気概が感じられます。そしてその心意気は映画史上最もカッコいいロゴシーンを生み出していて、きっとこれは真似されるでしょうね。

しかも、これはカッコいいだけではなくちゃんと本編の内容ともリンクしていますね。コマ送りで見ると様々なスタイルのアニメーションや映像で彩られているのがわかりますが、これはロゴシーンですら本編に登場する加速器によって複数の次元が混ざり合ったことを示唆しています。よってスプレーで落書きされた映像だったり(マイルス)、白黒だったり(スパイダーノワール)、アニメーションだったり(ペニー・パーカー、ピーター・ポーカー)、アメコミ風だったり(ピーター・パーカー、グウェン・ステイシー)、そして昔のコロンビア映画のロゴが映ったりする仕掛けも盛り込まれています。

ちなみに一瞬映るか銃を景気よくぶっ放しているカウガールは1965年のコロンビア映画『キャット・バルー』からの引用のようです。

そしてオープニングクレジットが始まり一番最初に映る映像によってこの映画が最も観客に提示したいヴィジョンが明確になります。

その映像とはアメリカンコミックがそのまま動いているような映像を作り出すことです。

■漫画がそのまま動きだすということに挑む

これは今まで目の前にあったのに誰も創り上げなかった試みですね。アメコミが漫画の手法を用いて描き出す物語をそのまま映像に移行する。実写化やアニメーションにする過程で失われる漫画的手法、つまりコマ割りや擬音、もっというと紙ならではの質感のようなものまでを随所に盛り込むことにより、アメコミの元々の持ち味を損なわず、それでいて映像の特質や特性も盛り込むことに成功しています。

映像の特性としてはもちろん動くことでもありますが、この映画は映像と音楽のシンクロが非常によくできています。あまりにも映像による迫力が前面に出ているので気づきにくいかもしれませんが、登場人物のアクションと音楽のリズムが絶妙に重なっています。これによってアメコミを読む時は自分でペースを調整できますが、音楽のリズムによって映像になったページたちがめくられていく不思議な感覚を味わうことができます。

ちなみに本ならではの持ち味を損なわずに映像でも描き出そうとする試みは既に行われています。それはジョージ・A・ロメロ監督の『クリープショー』という映画です。この作品もまたアメリカン・コミックス(ただし、スーパーヒーローを題材にしたものではなく、ホラーを中心にしたものです)の映像化というものですが、画面構成が漫画のコマのようになったりして、登場人物の心情を表現したり、カラーコーディネートも原色を用いていたりと基となった素材へのリスペクトに溢れる作品です。今回の『スパイダーバース』が映像で試みたことはこれに近いと思います。

そして漫画の手法を映画でもそのまま用いることによって、今回の作品のようなスタイルでなければ表現できない演出を施しています。

それはマイルズがスーパーヒーローの力に気づいた時、言い換えるとアメリカンコミックスのメインキャラクターになってしまったことを表す時に用いられる手法は「“ダイアログ”が画面に表示されること」でした。彼の独白が画面に表示されることによってマイルズは動転します。ここから映画はよりアメコミの世界に一歩進んだ形で語られますが、この“ダイアログ”の使い方は遊び心も相まって良かったですね。最近だと『グラビティ・フォールズ』のコミックス”Lost Adventure”でも似た手法が用いられていました。

そしてこのことが私に漫画「魔法陣グルグル」を思い出した要素です。この漫画はRPGのパロディのようなファンタジー冒険漫画ですが、ゲーム内で用いられているメッセージウィンドウが漫画の中でもそのまま登場し、それがギャグやツッコミの役割を担っています。

これは発明だと思います。漫画の中にRPGの手法をそのまま用いつつ、新しい役割を担わせたことは画期的です。『スパイダーバース』もそれに非常に近い事をしています。漫画ならではの手法をそのまま映画にも導入しつつ、更に新しい使い方も生み出す。この映画はアメコミと映画が最も上手く鮮やかに融合したものだと思います。どっちの良さも損なわず、まさに違う次元に高めた映像を描き出したという点で。

■二度選ばれた主人公

今作品はスパイダーマンの映画の中で史上初めてピーター・パーカーが主人公ではない物語になっています。マイルス・モラリスという黒人の少年を主人公に置きつつ、彼が特殊能力を持ち、別次元のピーター・パーカーを中心としたヒーローたちや身内の死によって本当のスーパーヒーローへと変身するという物語になっています。

物語の最初、モラリスは優秀な頭脳の為にこれまで付き合っていた友人たちとは違った高校に行く事が示されます。そしてその学校で他の生徒たちが淡々とやっていることに必死でついて行こうとしますが、結局はここから早く逃げ出したいという気持ちが湧いてきます。

実はこの高校生活が今後彼がスーパーヒーローになった時の気持ちと、その後の挫折を予感させています。

彼は二度選ばれた人間です。一度目は優秀な高校に進学すること。二度目はスパイダーマンの能力を得たこと。そして二度とも逃げ出そうとしていることです。

私がこの映画を観ている時に最もグッと来た台詞はモラリスが吐露した、

“I’m just tired of letting everybody down”

「僕はもう皆をガッカリさせることに疲れたよ」

この台詞によって偶然スーパーヒーローの力を手に入れ、頭も良いアメリカに住む高校生に完全に共感することが私にはできました。

人が自分に失望した表情を浮かべるのを見た時、自分を根幹から否定されたような気がします。ここはお前の場所じゃないんだ、と。生きる上で時折直面する逃げ出したくなるような瞬間だと思います。

それを乗り超え、打ち破ることができるのかどうかの強さをモラリスはこの映画でちゃんと見せてくれます。自己犠牲によるヒーロー像ではなく、逃げ出したくなるような状況で、逃げだしたけれども、結局は打ち勝って新しい自分になることができる姿をみて観客は勇気をもらえるのではないかと思います。

■最後のひと言

史上最高のロゴシーンとエンドクレジット、革新的な映像、アメコミと映画の見事な融合、ストーリーの運び方、各キャラクター達がバランス良く魅力的で、放たれるギャグもいちいち面白いとこれはマーベル映画の最高傑作だと確信しています。これまでのマーベル作品も素晴らしい作品はいくつもありますが、もはやこの作品が違う次元でのエンターテイメントとして一つの頂点に辿り着いたと思います。

豪華キャストやド迫力なCGで、壮大な話を観るのも楽しいですが、コミックスが本来持っていた特性をこれほどまでにちゃんと活かした映像作品である今作品こそが真のアメコミ映画だと思います。

そしてそんな傑作中の傑作の中に、伝えられるところによると収録という形では最後の出演となるスタン・リーが、アメコミがそのまま動き出したような『スパイダーバース』の住人であり、ヒーロー見習いにスーツを売る店員という役でさわやかな笑顔を私たちに見せてくれたという奇跡のような偶然に、心がスイングします。