道の駅北川はゆま

0.5日目のキャビンアクシデント

エッセイ

丸一年のカナダ生活を終え日本に戻り四か月が過ぎた。

帰国当初に取り纏っていた母国に戻って来たのに”自分が異邦人になった”感覚もj時の流れと共にほぼ溶けていった。つまり、そろそろ文章にしてもいい頃だなぁと。

これから時折認める私のカナダ生活についてのエッセイは別に有益な情報を経験者の立場から発信するなんてプラグマティックなものではなく、私個人の徒然なる思い出への文章だ。正直数十年後先に自分が読んで懐かしむ為と、忘れたくない瞬間をできるだけ文章に抽出するのが目的。

人と話していて内容は忘れるが、その時抱いた感情は残り続ける。これは私が映画を観ている時にも感じる。正確に云うと、人より変にその辺りの記憶力がある(他はダメ。人の名前なぞは絶望的なキャパシティー)ので、人と映画の感想を語る時は細部を語り合うべきか、どう感じたのかを大きく分けて話すよう気を付けている。相手によってちゃんと使い分ければ多くの人と楽しくお話しできるのではないかと。

閑話休題。

つまり想定読者は実用的な知識を求めている方々ではない。文章を読むのが好きだなという方に向けて書く。いくら転生しても読み切れない文章が溢れているこの世界で、何の因果かここに辿り着いて「どれ、ちょいと読んでみるか」という愛すべき酔狂者の為に記す。そのような方が読んだ後「全く為にならなかったけど、まぁ読めたね」とページを閉じた後に二、三秒でも感じてくれたらそれで御の字。

では初回らしく初日の事を話そう。

今回の登場人物は私を含めて三人。内容はかなり情けない失敗。私という人間がどれだけ抜けているか。

2018年の10月20日。カナダのバンクーバーに向けて羽田空港を経ち、知人がただの一人もいない地球の裏側に行くという不安と興奮をもたげながら雲と海しか見えない窓からの景色をボーっと眺めていた。座席は飛行機の翼にあたる部分なので「ミステリー・ゾーン」の「二万フィートの戦慄」の話も思い出しもしていた。隣に座っていた女性は日本人の方で何度も往復しているので全然窓の外なぞは見向きもせず、私にバンクーバーの生活を少しだけ話してくれた。

「20,000フィートの悪夢」

あまり写真を撮るタイプの人間ではないけれど、ここは一つおのぼりさんらしく外の景色を撮っておこうとスマートフォンを取り出そうとした。その時、自分の手元にそれがないことに気づいた。いつも入れているポケットから全ての衣服やバックについている穴という穴、物理的に無理なスペースにも手を伸ばして確認するがやはりない。搭乗時に手にしていたのは間違いない。なぜならスマホで時刻を確認し、Wi-fiモードを解除したからだ。

この辺りで心中かなりてんてこ舞い。まさか海外生活初日、いや、現地に到着してすらいないのに生活必需品の上位クラスの座を占めているスマホを紛失するのはさすがにマズイ。これからの生活が難易度がベリーハードになってしまう。

その時、もしかして夕食後キャビンアテンダントにトレイを渡した際にその上に置いたまま一緒に渡してしまったのではないかと思い始めた。ほどほどな感じで慌てている按配に取り繕って、キャビンアテンダントにエクスキューズミーと事の次第を説明すると「もし置いていたとしたらまず気づくと思いますが…一応ここがそれらを捨てる際に使用したゴミ袋です」と言われ数分一緒に探したが見つからなかった。

この辺で変に諦めがついて、もうどうにでもなれと元の席に着いた。そして問題解決にあたって最も遠い行動、つまり現実を直視しないようにした。思考はこれからどうしようではなく、機内上映の映画で何か面白そうな作品ないかなぁだった。ここでヘビー級なドラマのお呼びではないので『ピーター・ラビット』を観た。これがまたいい具合だった。ウサギと人間がバイオレンスを伴う喧嘩を楽しく見ていた。お隣に座ったマダムは先ほどまで失くしものをオロオロしていた男が今ウサギと人間がボコボコ殴り合っているのをニコニコしながら見ている男をどんな気持ちで眺めていたのだろうか。

映画の観賞後、事態は一マイルも良くなっておらず、キャビンアテンダントが傍を通り過ぎる度に「お客様、こちらのスマートフォンではないでしょうか?」と声かけてくれるかもしれないという淡い期待が浮かんでは弾けた。飛行機はバンクーバー空港に無事到着。いよいよ着いたという実感ももちろんあったが、大きく締めていた感情はあぁやらかしちまったなぁという失くしものをした自分への悔恨。

身体を自由に動かせるゆとりができたので、最後に座席の横に頭を突っ込むとそこに私のベイビーがあった。ただ横の座席の下に落ちていた。正になんて事のない落ち。しかしキスのシャワーを浴びせたいほどホッとした。それと同時に次買う時は黒のカバーなんて探しにくい色なんて選んでたまるかと誓った。

一年後、その誓いは守られた。なぜなら日本への帰国の際に今度は紛うかたなく紛失したからだ。故、手元にあるスマートフォンのカバーは赤色だ。

開始早々散々だな、自分は本当に抜けている奴だと自己嫌悪を抱えながらホステルに到着。するとそこでとても楽しくて素敵で、少し不思議な日本人の女性と知り合いになった。その方は数時間後にここを発つということだったので、私がカナダで最初にできた友人は最初に別れた人になった。一年後、無事日本で再会してお話しできたが、お互いしっかりとあの時の事を覚えていた。また別の機会で書くけれど、何日何か月も共に過ごしたのに一度別れたらそれっきりという人がたくさんいるけれど、たった数時間の短い時間で後に再会する約束を交わせるほどの人に巡り合うことがある。

上記の通り、初日に起きた二つのことが一年後に私の元にやってくることを今考えるとさもありなんな初日だったのだなと。