道の駅北川はゆま

『フランケンシュタインの花嫁』-ハートに火をつけられて

映画

思いもよらぬ大ヒットを飛ばした後に、その熱気が続篇の製作に火をつけることは映画界ではよくあります。特にホラー映画に顕著でしたが、ありとあらゆるジャンルで柳の下のドジョウを大してアイデアのない人たちによって資源を枯渇させようとハッスルしています。

その一方で昨今、映画の続篇は面白くない、もしくは大幅に劣化してオリジナルには遠く及ばないという考え方は薄れたように思います。『エイリアン2』『ターミネーター2』のようなのは例外中の例外で、殆どの続篇は残念な仕上がりと興行成績になることは映画好きじゃない人にも何となく浸透していた考えのようでした。

しかし、よくよく考えてみると続篇の中に映画史上の傑作軍の一ポジションに座しても全く威厳のない輝きを持つ作品は皆が思うより遥かに多いです。『スター・ウォーズⅤ/帝国の逆襲』『ゾンビ』『マッドマックス2』も名作の回廊に飾られてしかる作品群ですし、『ゴッドファーザー PART2』はアカデミー賞までお墨付き。ホラー映画の中でも『サイコ2』『悪魔のいけにえ2』『エクソシスト3』などあります。最近ではアメコミ映画界内では『ダークナイト』『キャプテン・アメリカ/ウィンターソルジャー』が当て嵌まりますね。

単なる荒稼ぎの為の続篇もかつて多かったです。しかし、このような傑作群が世に出てきたおかげで続編も面白い作品はある、いや下手したら第一作を凌駕すると云っても過言ではない程の作品が産まれてくることがあるのだと具体的に、そして多数の作品名を挙げて力説することができます。では映画史上初めて、続編でありながらとんでもないクオリティを誇った最初の作品は何かと尋ねられたら、一片の疑いなくこの作品を推します。マイフェイバリットホラー映画の一つ『フランケンシュタインの花嫁』です。

■誕生を望まれなかった花嫁

『フランケンシュタインの花嫁』は1935年製作のホラー映画であり、四年前に作られた『フランケンシュタイン』(1931年)の続篇です。

第一作目がメガトン級のヒットをかっ飛ばしたので、映画製作会社はすぐに続篇に取り掛かりたかったようですが監督したジュームス・ホエールが首を縦に振るのに時間がかかったようです。ただその結果、出来上がったのは前作よりも遥かによく出来ていて、エモーショナルであり、コミカルなシーンも盛り込まれ、哲学的な奥行きも深めることに成功しました。なにより、原作小説の要素が最高密度で凝縮されて映像化に成功した傑作中の傑作になりました。

最初から最後まで圧倒されっぱなしの面白さですが、今回はとあるワンシーンだけを焦点にあてます。そのシーンを突き詰めればこの映画の核なる部分も見えてきて、同時に原作とのつながり、涙を浮かべさせる極上の演技。なによりホラー映画史上最もチャーミングで、荘厳で、永久に煌めく程美しいシーンの一つだからです。そのシーンは「モンスター、盲目の老人と友達になる」です。

■盲目的な親切

フランケンシュタイン博士から産み出されて命を授かるも、その様相ゆえに迫害されて、避けられて、虐められ続けたモンスターが山を歩いていたら、野宿しながら夕食の準備をしていた人々を発見。近づいたら悲鳴をあげられてまた傷心。トボトボと歩いていたらバイオリンの音色が聴こえてきます。その音の鳴る方へ向かうと山の中にある小屋を見つけます。ドアを開けるとそこには老人が一人座っていました。「うわっ、人間だ。また嫌な事される!」と警戒するモンスターですが、老人は怖がらず、それどころか近づいてきて「そなたはどなたかな。恐らく私の知らない人でしょうかね」と述べた後「私は目が見えないのです。その点、ご了承願いたい」と老人は伝えます。その時にモンスターのどこかホッとして、ようやく!というような表情を浮かべます。

そして「何かお困りでしたら手をお貸ししますよ」と親切な言葉を掛けられます。この時モンスターは人から人間らしい扱いをされたことに対しての喜びを感じます。しかし老人がモンスターに直接触れるとまたいじわるされると思う警戒の唸り声を上げます。どこか一度人間からいじめられた経験のある動物を想起させます。しかし、老人はモンスターの手を触り怪我をしていることがわかり手当をしようとします。そして老人はモンスターがはっきりした言葉を話せない為に「なるほど、私は目が見ない。貴方は喋ることができないのか」と気づいた後にモンスターに食事を与え、そして神に感謝の祈りを捧げます。「長き間、友をお授け下さいとお祈り申し上げて参りました。今宵、この友をここに導き、孤独な者同士を引き合わせた事に感謝申しあげます」と涙を流しながら。

■火は良いもの、悪いもの

次の場面ではモンスターと老人が一緒に食事をとっています。老人が言葉をモンスターに教えたようで、ここからモンスターは言葉を喋るようになります。

余談ですが、モンスターを演じたボリス・カーロフはモンスターが喋る事に反対していました。前作『フランケンシュタイン』で築き上げたイメージを言葉によって崩したくなかったからです。しかし、これは後の映画史やこの作品の完成度から考えると、モンスターに言葉を喋らせたのは大正解でした。原作小説「フランケンシュタイン」ではモンスターはかなり流暢に言葉を話せるどころか本が読めます。読んだ本も「若きウェルテルの悩み」「失楽園」とそこらの文系大学生ですら読んでいない古典小説を紐解いています。

さて、ここからが本題です。

食事をしながら老人はモンスターに「パン」「ワイン」といったものを教えます。ワインを初めて口にしたモンスターは見ているこっちがニコニコしちゃうほど美味しそうに「良い!良い!」と言いながら飲みます。後述しますがこれはかなり重要な台詞です。その後に老人は「これが煙草じゃよ」と一気に嗜好品を教えようとします。その際マッチを点火するとモンスターが凄く怖がります。なぜなら彼は村人たちから松明を持って追いかけられたり、風車小屋ごと焼き殺されそうとされた経験があるため、火は彼にとって“恐怖”の象徴だったからです。彼の顔を見ると頬の辺りに第一作目にはなかった火傷の痕があります。

しかし老人は「これもまた良いものだよ。吸ってみなさい」と渡し、モンスターが恐る恐る口にし、味わってみるとこれまたいい笑顔になって「良い!良い!」と喜びの唸り声をあげます。

老人は「君と私は友達だ。友達は良いものだ。お主が来るまで私は独りぼっちだった。孤独で寂しいのは悪いことだ」と口にするとモンスターは「友達は良い、孤独は悪い」と老人の云った事を理解します。そして老人の最後のレッスンです。彼は焚き木を差し出し「これは木だ。燃やすための木だよ」と言ってモンスターを焚火の近くに案内するとまたモンスターは人を怖がります。老人が火は良いものだよと諭してもモンスターは「火は…良くない」は怯えています。そして老人はモンスターの一生において最も重大な台詞を彼に言います。

「良いものもあれば、悪いものもあるのだ」

この時、モンスターに新しい概念の扉が開きました。善悪という考え方です。

モンスターの脳みそは第一作で“異常者”の脳を移植したものだったので彼の行動にはどこか異様である理由となっていますが、ここでそれをひっくり返します。彼は誰からもその概念を教えられなかっただけなのだと。モンスターの中にあったのは会う人会う人に怖がられ、理由もわからずに追い立てられる恐怖の渦で混乱し逃げ続けていたのでもはや脳が“異常”とか関係なく、倫理観というものを学ぶ余白も材料も思いやりも味わえなかっただけなんだと。人から親切にされたり優しくされずして物事の善し悪しがわかるものか。モンスターは盲目の老人と友達となり、火も使い方によって良くも悪くもなるのだということを通してこの世の大事なものを学ぶのです。

■プロメテウス

“火”によって善悪を理解するというのも原作小説と照らし合わせてみるとこれまた良くできています。原作小説「フランケンシュタイン」の副題は「現代のプロメテウス」です。

プロメテウスはギリシャ神話の神の一人で人間の創造主です。そして神の元から知の象徴である“火”を人間に与えるために盗んだとされる人物です。この物語生命を創造する力を持ってしまったフランケンシュタイン博士を指しています。

ゆえに、モンスターは火の力を授かった人間の象徴として描かれているようにもみえるのです。第一作では命を授かっただけで無責任にもほっぽられた彼が、生みの親ではなく老人によって心に火が灯る。

この映画はホラー映画の中でも本当に変わっています。なぜなら観客が共感したり、感情を置くのは人間側のキャラクターではなくモンスターだからです。物語の中盤ぐらいから人間に迫害される様子を見て、「ちょっと可哀想…」と思わせ始め、この老人と友達になるシーンで完全に気持ちはモンスター側になるはずです。

上記の後、モンスターはバイオリンを手に取って老人に渡します。彼は以前“音楽”を聴いた時に感じた得体の知れないものの正体がわかったからです。これは“良い”ものだと。だからもう一度楽しみたいと。友達と、タバコをくゆらせながら、良いものを味わいたいと。ここのモンスターが身体を揺らしながら愉しそうにしている姿は何度見ても私を笑顔にさせると同時に瞳をうるわせてくれる愛おしく、崇高で、“良い”場面です。

とても悲しいことに、彼らの時間はすぐ終わりを迎えてしまいます…それは是非ご覧になって下さい。

■最後のひと言

この映画には他にも沢山の見所があります。私の大好きな女優エルザ・ランチェスター演じる一度観たら生涯目に残るフランケンシュタインの花嫁の造型、演技、そして悲鳴。ちなみに彼女は冒頭に登場するこの映画の語り手メアリー・シェリー、つまり原作者も演じています。これを頭に入れてみるとラストシーンがまた切なくなります。

映画オリジナルキャラクターでありながら屈指の存在感をみせるDr.プロトリオス(もちろん、プロメテウスへの目配せです)。彼の発明である“小さい人間たち”の特撮シーンは歪な雰囲気を醸し出していてこれまたインパクトのある場面。

第一作目ではほとんどなかった音楽。今作では多くの場面で音楽が奏でられるのですがものの見事に映画の目指す雰囲気へと大きく貢献しています。

原作小説を読んだ方は「うわっ、こうゆう風に落とし込んだのか」と感心すると同時に「あれっ、第一作目より原作に近いのはこっちじゃないの?」とすら感じるはずです。

など話し出したらキリがないですね。

後世の映画に繋げるという観点では、『ターミネーター2』でT-800がジョン・コナーと交流を通して、最後になぜ人間が涙を流すのかを理解できるというのは『フランケンシュタインの花嫁』に描かれた、生まれながらに持ち合わせていなかったものを芽生えさせることができるというメッセージに近いです。幾星霜もの孤独の後に、誰かと手を繋ぎたいと考えるようになるロボット:ウォーリー(『ウォーリー』2008年)でも描かれています。

最後の最後に。

監督のジェームス・ホエールは他のホラー映画の続篇を担当することになっていました。その作品は『ドラキュラ』の続篇『ドラキュラの娘』です。しかしこれは叶うことはなかった。我々は彼の作る“娘”を見逃し、ホエールは次作『フランケンシュタインの息子』ではメガホンを取る事はしませんでした。

そこには彼が生み出したのはモンスターと、そして花嫁だけでした。

結ばれることはない最高のカップルを。