道の駅北川はゆま

『パディントン2』-善意の種は親切という名の花が咲く

映画

ロンドン生活を楽しんでいるくまのパディントン。そろそろおばさんのお誕生日が近いという事でロンドンの名所が収められた飛び出す絵本プレゼントを用意しようとするも、それには隠されたお宝を示すヒントが載っている事から彼は騒動に巻き込まれてしまう。

イギリスの子供用の本としての代表的作品「パディントン」の映像化に成功した前作から、より磨きがかかり、洗練され、映像的にも豊かで、老若男女所構わずに楽しめるファミリー映画の超一級品。とても当たり前、だけど中々心掛けれない、他人に親切にしようという至極真っ直ぐなメッセージを、マーマレードのような味わい深い甘味という面白さを加えて目と耳と心で味合わせてくれます。

いつ元の通り、ネタバレありです。未見の方はご注意下さい。

■イメージを逆手にとる

メッセージや映像的、語り口な面白さを掘り下げる前に、是非言及しておきたいのがキャスト陣みんなの演技がとても素晴らしいです。ブラウン家の家族たち、そしてその隣人たち、刑務所内の仲間、そして特に今作の悪役であるヒュー・グラントが最高!とても活き活きと悪役フェニックスを演じているヒュー・グラントを見ているだけでニコニコしてしまいますが、今作では彼はいくつもの英語のアクセントを使い分けているのも聴き所だと思います。基本彼は容認発音“Received Pronunciation”、もっといえば“posh”と云われる上流階級や裕福な人々であること感じさせるアクセントで話しています。これは彼の過去作で演じていたキャラクター像から連想されるヒュー・グラントのイメージをわざと誇張しています。同時に、屋根裏部屋で衣装に向かって独り言をする際にイギリスにある他のアクセント(コックニー等)やシェイクスピア劇などで使うような古語などを使い分けるのも面白く、ファミリー映画内で彼の演技力を見事に発揮させる場があるのも凄くいいです。

私が好きなのは裁判シーンでヒュー演じるフェニックスが「貴方は犯人と思われる男を見ましたか?」と問われるシーンで“Alas”(日本語訳:あぁ、悲しや! やんなるかな)と言う所。この単語を使うことは別に間違ってはいないのですが、とても仰々しいというか、古語といわれるものなのでどこかこの場面をドラマチックな感じにさせようという彼の見栄っ張りな所がバシッと、そしてさりげなく描けています。別に“sadly”とか“unfortunately”でもいいんです。けれど、フェニックスだったらここでは“Alas”と言うのが正解だよねという言葉による性格付けがしっかりされていますね。

イメージを上手く利用している点と云えば、男女間の役割をひっくり返している点もいいですね。つまり、他の映画で散々見てきたような男性だったらこの行動をとり、女性だったらこのようなふるまいをするというイメージをひっくり返しています。

例えば、冒頭一発目から子ぐまのパディントンが川に流されているのを見つけるや否や、危険を顧みずに行動するのは女性であるルーシーおばさんです。他ではお肌の手入れや化粧水を塗りながら喋るは旦那のヘンリー・ブラウンで、フェニックスに剣を向けられた際に銃を取るのはバード夫人です。このすべてのシーンでもう一方の異性が存在する為、これはあえて男女間のイメージを逆手に取っているのでしょう。しかも、これをおかしなこととして誇張したり、わざとらしくみせるのではなく、ごく自然に描いている点が非常に卓越しています。

なぜなら、ポリティカル・コレクトネス的に正しく見えて、ウケそうな場面だったら強調して、私達はリベラル側ですよアピールをしたくなりそうじゃないですか。現にそんな映像や文句を見たり聞いたりした気がしませんか。でも『パディントン2』ではそんなあからさまな感じにしない奥ゆかしさが何倍にも素敵に感じるのです。

一方で、女性が一切いない刑務所の中で囚人服をピンク色にしたり、料理やガーデニング、裁縫、そしてベッドタイム・ストーリーを看守が呼んだ後に”Aww”と声が漏れるのもこれに繋がる要素です。イメージとのギャップに笑える、けれど凄く変なことのようにも馬鹿にしているようにも映していません。ただ凄く楽しそう。それだけです。

■親切で礼儀正しくいこうよ

パディントンは非常に純粋で、ルーシーおばさんの教えをしっかりと守って生きています。その教えというのは「親切で礼儀正しくいれば、この世界はきっと良くなるよ」ということです。

その教えを大事に守りながら生きているだけで彼がとても魅力的なキャラクターに見え、そしてそれを決して茶化さない、笑い者にしない眼差しが非常に良いです。この姿勢を現実にとろうとしても、そのおかげで嫌な目にあったり、騙されたり、馬鹿をみる羽目に合って、結局はその姿勢を取り続けることを止めて、そこそこな按配に腰を据えます。大人だって感じるし、子供でも親切で礼儀正しくしていても、そうしていない人からからかわれたり、不親切で無礼な人でもおいしい目に合っている姿を見て、この優しい哲学を脱ぎ捨てていきます。

パディントンは無実の罪で牢屋に入れられてもルーシーおばさんの教えを捨てることなく、これまでの自分が正しいと思う態度を貫き通します。それによって刑務所の人々の態度、雰囲気、システムまで変えていく様子は非常に温かい気持ちにさせます。罪人だからといって、人に良くすることをやめなければ、隣人とともに世界は輝きを取り戻すことができるというメッセージは、どの地点からもその姿勢を始める、または取り戻すことができると投げかけてくれるようです。

よく物語の中で前半に行ったことや道具が中盤や後半で活きてくることを伏線が見事と称えられます。『パディントン2』は正にその宝庫というべき程、前半描かれていたことがしっかりと回収されていくのですが、私は今作ではあまり伏線が上手いという褒め方はしたくないです。なぜなら今回はパディントンが人々に施した善意の種が、彼の人生の先で次々と花咲くようなイメージの方がピッタリとくるからです。機械仕掛けのパズルような組み立てではなく、人にナイスにしていたから、きっとこの人は彼を助ける為に動くよね、という人間の良心に行動規範の力点を置いている理想。物語をよくできた話というよりも、良き行動をしたら、素敵な瞬間があなたの人生には待っているよという非常に道徳的、かつ優しい哲学のおとぎ話として捉えたいのです。

同時に、パディントンの周りの人々の姿もこうなりたいという理想の姿を追うことが図らずしも結果的にパディントンを救出する上で役に立つという点も良いですね。確かによく出来過ぎているかもしれません。しかし、私達がお互いに礼儀正しく、親切に、ナイスで、エクセレントであろうとし続ければ、よく出来た世界が見えてくるのじゃないか、と信じたくなる物語です。

この映画はルーシーおばさんが川でおぼれそうになっているパディントンを救うところから始まります。そして映画の終盤、パディントンは列車に閉じ込められておぼれそうになったところをメアリー・ブラウンが助けようとしますが彼女一人の力では救えないと覚る。その時、刑務所内でできた友人達がやってきて一緒にパディントンを助けます。映画の終わりと始まりが見事に重なり、しかも今度はパディントンが誰かに親切に続けた結果救ってもらえるという、パディントンの歩んだ人生と行いは正しかったのと描いています。そしてそれにはもう一つの大きなプレゼントが最後の最後で明かされます。

■光照らすもの達へ

ブラウン家の隣人は既にパディントンと仲良しになっていますが、ランカスター大佐という人物のみこの映画内で彼と友人になります。ランカスター大佐は気難しく、曇りがかったガラスの為に薄暗い部屋で一人うなだれているような男性です。そこにパディントンが窓掃除でございますとやってきて、まぁ適当にやってくれやと興味無さそうな態度を取ります。しかし、パディントンが窓を綺麗にすることにより、部屋にお日様の光が差し込むようになり、外がくっきりと見える先には新聞を売っている女性キッツと目が合い、やがて交流を結ぶようになります。

このシーンは非常に示唆的で、かつ視覚的でいい演出だなぁと思います。まずはパディントンが人々の心を明るくする人物であることを曇ったガラスを綺麗にすることで描いていて一発で彼が他人に対してどのような影響を及ぼすのかが視覚的にわかります。

そしてこのシーンは1946年のデヴィッド・リーン監督作『大いなる遺産』のラストシーンを思い出させます。古びた屋敷で独り引きこもり続けている女性エステラを主人公のピップが目を覚まさせるために、カーテンを外して陽の光を部屋に通すことによって、エステラに人生の活力を呼び起こさせる場面です。原作小説では夜なのですが、映画では日中に変更されています。エステラの名前は“星”を意味するので、実際は月の光が彼女を手や姿を照らすような描写が合っているのですが、映画では視覚的にわかりやすく、より希望が感じられるように日の光に変更したのではないかと思います。

1946年『大いなる遺産』より

また、『パディントン2』を観ていて思い浮かべた映画がもう一つあります。それはフランク・キャプラ監督作『素晴らしき哉、人生!』です。『パディントン2』のラストでパディントンは当初計画していたロンドンの名所が描かれた飛びたす絵本をルーシーおばさんに渡す計画が失敗に終わり落胆してしまいます。しかし、家族や隣人たちの助けによってルーシーおばさんを直接ロンドンに連れきてもらうという、彼の善意を施すことによってルーシーおばさんの誕生日プレゼントが思いもよらない方法で叶ったとても素敵な結末で、毎回涙を浮かばせてくれます。

映画の冒頭でルーシーおばさんとパストゥーゾおじさんは楽しみにしていたロンドン旅行がパディントンを救出し、養子に迎えることで諦めたことが説明されます。それを知っている為にパディントンはロンドンの飛び出す絵本が最高のプレゼントだと考えるのですが、これは『素晴らしき哉、人生!』で世界旅行の夢を諦めて父親の営む銀行業を新婚旅行ですら犠牲にして人々の為に尽くしたジョージの姿と重なります。

自分の夢よりも誰かを助けたり、施したりすることを優先した人生を生きた人が、後に思いがけない形で善意が返ってくる非常に道徳的なお話はパディントンだけではなく、ルーシーおばさんにもプレゼントされている。それは『素晴らしき哉、人生!』のジョージの姿とダブります。一つはイギリスで、もう片方はアメリカにて描かれた理想。善意の種は、きっと歩く道の先で咲きほこる筈だというメッセージは決して子供騙しではないと信じたいです。

■最後のひと言

今作の悪役のフェニックスは最後投獄されてしまいますが、彼もまたとても活き活きとした姿をエンドロールに披露して映画が終わります。ウエストエンドに返り咲くことはできなかったけど、刑務所の仲間たちと凄く楽しそうにミュージカルナンバーを披露するシーンは昨今の映画の中で断トツのエンドクレジットでした。なぜなら、罪を犯した彼もまた世の中を明るくする力があると示しているからです。パディントンや他の囚人たちのように料理やガーデニング、裁縫などではなく、違った力で刑務所の中を明るく元気なものにしている姿はどこにいても私たちはいい方向に足を進めることができるような気にさせてくれます。

物語内で、唯一パディントンを差別的に排除しようとする人物がミスター・カリーという人物で勝手に自警団なるものを作り、パディントンが脱獄した際に周囲の危険レベルを最大にして不安をあおっている姿が映し出されます。今回掘り下げませんでしたが、パディントンには移民や難民の人々を象徴している所もあります。彼を迫害しようとする人の描き方にはイギリス人の他国の人々に対する精神の表れでもあると考えます。しかし、それは遠く離れた島国に住む私たちにも十分見習ってもいい姿勢ではないでしょうか。

互いを尊重したり、親切にしたり、助けたりする際に、人種、肌の国籍、性別、宗教、職業等の要素は全く一切合切関係ないという姿勢を取り続けましょう。いつでもどこでもきっと優しくなる力は誰もが持っているはずです。まずはできる限り、届く範囲で良いから、少しずつ照らしていきましょう。