道の駅北川はゆま

『日の名残り』-あの日、あの時、あの場所で

映画

気高さ、高貴、紳士たる態度によって大きな過ちに足を進めてしまったダーリントン卿に尽くした執事スティーブンスの姿を通して「あの時、ああしておけば」という究極のifを描いた極上の人間、そして恋愛ドラマ。

■後悔の栞たち

主人公の執事スティーブンス(アンソニー・ホプキンス)は徹底的なプロフェショナリストで私情を一切に仕事に挟まない人物として描かれます。ただひたすら、主人の命令や、彼のゲストへのおもてなしに己を捧げる人物です。かといって、何も感情を抱かない人間という訳ではなく、徹底的に表にあらわせない様にしています。故に、感情移入しないどころか、一体どんなことが起きれば彼は感情を表に出すのだろうと、スティーブンスの一挙一動に目を奪われます。

主人公の父が死去するシーンも、主人が非情にもユダヤ人の従業員を解雇する際も、そして思いを寄せる女性が結婚することを告げられるシーンであろうが、いつもと変わらないような表情、態度で接するように努めています。しかし観客にはしっかりと彼が心の奥で悲しみや憐憫の念を抱いていることが伝わってくる。彼の心情を精妙な表情の変化や、所作によって描くアンソニー・ホプキンスの演技が全編に渡ってこの上なく素晴らしいです。

映画は主人公の人生の中で最も面白い部分を切り取ったものだと定義されることがありますが、この作品の場合は主人公が自分の感情を表に出すべきだった場面を集めた物語だと云えます。元従業員のミス・ケントンに会いに行く際、彼は回想を挟みますが、その回想の幾つかは感情や自分の意見をハッキリと表に出すべきだった瞬間がしおりのようになっています。

そして映画内で唯一素直に彼の感情をハッキリと出すのは、ワインセラーから取り出したワインを運ぶ際に落として割ってしまった時の“Damn it! Blast!”「畜生!」のみだったというのが凄く切ないです。

この映画の未公開シーンでは年老いたスティーブンスがミス・ケントンともう一度再会する旅の際に、隣に座った引退した執事に涙を溢しながら自分の感情に素直にならなかったことによる後悔と、それにより自分の人生は何も残すことなく終わってしまうことへの虚しさを吐露するシーンがあります。この時の演技もまぁ凄くて、これが本編に収められていたアカデミー主演男優賞の結果も違っていたかもという人がいる程です。

しかし、作品全体としてはやはり含めなかった方がいいと思います。この物語は彼が感情を表に出さない姿を通してどれだけ人生を悔やんでいるかはもう観客に十分届くようになっています。見せないことによって、感じさせる。言葉に出さないけれど、共感できる。この観客とスティーブンスの距離間が絶妙で、だからこそ前のめりで彼の姿を追わずにいられなくなるので、それを保ったままの本編の雰囲気のままでよかったです。

ちなみにこちらのシーンは原作小説にでも描かれていましたが、小説の方では常に主人公が自分の本当の心内を誤魔化し続ける主観体小説なので、感情を一気に吐露するこのシーンが劇的な効果を生んでいます。

また、彼が涙を流すことなく、この映画内しっかりと後悔の念を抱いた瞬間があります。それはミス・ハントンと一生の別れをした後です。車に乗り込み、運転席で呆然とした表情を浮かべるスティーブンス、その姿をカメラは外から映し、そのまま下に動いた後に車のヘッドライトがともります。この時、悟ったのです。「私は彼女に自分の気持ちを告白するべきだったと」。まるで漫画の中でひらめいた時に電球がピカッ灯るように、新しい大きな後悔をまたも作り出してしまったことを。

呆然と虚空を見つめるスティーブンス
カメラは下方へ移動し、ヘッドライトを映し…
ピカッと灯りがともる

■心を開いて

この映画内でスティーブンスのifは大きく二つあります。一つは仕えるダーリントン卿がナチシンパに向けて足を進めてゆく姿を一切意見せずに傍観していた事。歴史上重大な過ちを行った人物の傍でただひたすら仕えていたことです。

もう一つは、好きな女性に想いを伝えなかったことです。

スティーブンスがミス・ケントンに恋愛感情を抱く決定的なシーンはどこだったのか?

私はミス・ケントンがスティーブンスのプライベートルームで彼が読んでいた本を無理矢理取った場面だと考えています。

最初観ていた時は、ミス・ケントンの「何の本を読んでいたの?」という執拗な攻めに、

「もう、そっとしておいてやれや」という気持ちと「ところで何の本読んでいたの、ねぇ?」という野次馬根性の二つが入り混じった気持ちで眺めていたのですが、ミス・ケントンが本を彼の手から引きはがし、内容をみて「あら、感傷的で古い恋愛小説じゃない」と言います。この一連のシーンのスティーブンスの目ときたら!まるで彼が今何を考えているのかをささやいているようです。小説の独白(モノローグ)のごとく手に取るように彼の心情が伝わってきます。そして恐らくこの瞬間が決定打です。なぜならミス・ケントンが彼の持っていた本を無理矢理開いたことで、スティーブンスの心を開いたことを示しているのだと考えられるからです。

無理矢理、本(心)を開かれた時のスティーブンスの目

恐らくこのプライベートルームも彼の心を示していて、物語の序盤ミス・ケントンは彼の部屋にお花を飾ろうとし、それをスティーブンスはやんわりと拒絶することから私の心に足をこれ以上踏み入れたり、かき乱したりしないでくれと促しているようにもみえます。

そんなミス・ケントンもいつしかスティーブンスに惹かれ、彼の感情を引き出そうと彼の知人からプロポーズされたことや、急遽それを承諾したことなどを通して行いますがすべて失敗します。結局は彼女もまた自分の気持ちを真っ直ぐな言葉で出さなかった為に、望んでいた道へとは進まない人生を歩んだ人物の一人です。

他人の心を開いたのに、正直にならなかった為に彼の人生に後悔のしおりを作ったのみで、二人の幸せが描かれるページを紡ぎ出すことはできませんでした。

■最後のひと言

上述したように『日の名残り』は二種類の大きな後悔を描いた物語です。一つは政治的な意見を述べなかったこと、もう一つは恋愛に対しての後悔です。人は誰もが自分の人生のどこかに“if”のしおりを持っています。あの時なぜ行動しなかったのかと後悔を伴いながら過去を振り返るのは非常に辛く、多くの人が共感できる苦みです。掴まなかった機会は後悔という衣を纏い、よくもなおざりにしてくれたなと立戻り、睨み続けるからです。

作中、少し登場する若い女中と執事が半ば衝動的に婚約し、ダーリントン邸を後にします。登場人物も観客もきっと彼らは後にその決断を悔やむことになるだろう、と思ったら彼らはもうこの物語には登場せず、人生を悔やんでいるのはスティーブンスとミス・ハントンだったことがわかります。

じっと我慢してお上のいう事に従い続ける事、自分の感情を極力表に出さない日々は自分ではなく、よもや他の誰かの人生すらも巻き込み、悲しい名残を人生に染み通らせてしまうかもしれないのです。