道の駅北川はゆま

君の名は。

映画

突如身体が入れ替わるという現象に見舞われた男女の姿を通して、恋と、お星さまと、巡り合いのお話。

※ネタバレあり。未見の人はご注意を。

■様々なSF要素を紐付けさせたストーリー

タイトルと、予告編から『君の名は』ばりのすれ違いと、『転校生』のテイストを盛り込んだ青春恋愛映画かなって思っていたら、後半から大きくテイストが違う展開に!まさかの『オーロラの彼方に』的な展開になるとはね。

男女が入れ替わるありえないシチュエーションによるドタバタ、ギャグ、恋愛映画のテイストの序盤。正直、ちょっと苦手だな、辛いなっ、口噛み酒のインパクトでかいなって印象だったが、入れ替わりの停止、ティアマト彗星が引き起こす災害と瀧と三葉の入れ替わりには3年の時差があったこと、などが明らかになってから途端に面白くなってきた。

前述した通り、『転校生』が過去に映画でやった男女入れ違いによるギャグや展開に関してはさほど新鮮味があまり感じられなかった分、いきなりの方向転換がより効果的で驚いた!

三葉がティアマト彗星を見た時に発せられる耳に残るキーン!という音、あれが振り返ってみると三葉が隕石の衝突によって絶命した音だったのかも…と考えるとゾッとするし、「なんでお互いの電話番号を交換していないんだ!」というツッコミも時差があったからか…と勝手に納得。

この映画の魅力はストーリーだと思う。

絵が綺麗、とか挿入歌が~、とかは自分にとってそんな重要じゃなく、それよりもよくぞこのてんこ盛りな内容をまとめたな!ってとこに感心したよ。

男女入れ替わりによって生じるありえない形の恋愛、彗星による災害のサスペンス、神の酒によるタイムトラベル、パラレルワールド要素も詰め込んで、最後は男女の巡り合いに着地!という、様々な引きの強い要素をみせて、一本の映画として紐付けさせたストーリー運びが自分はこの映画の好きな部分ですね。

■キャラクターから浮かび上がる問題点と不思議

では逆に、私がこの映画にちょっと物足りなかった点なんですが…それはキャラクターです。

映画を観終わって観客席を見て泣いている人が結構いらっしゃいましたが、私は全く泣けなかった。これは文句やいちゃもんじゃないよ!面白かったからね!!

でもどうして泣けなかったんだろう、と考えたのですが、多分自分にとって魅力的なキャラクターがいなかったことだと思う。

瀧と三葉が入れ替わりをしながら相手の生活や人間関係を知ってゆく過程が序盤で描かれるが、どっちのキャラクターもこれだ!とハートを持っていかれる瞬間がなく、他に個性が強烈なキャラクターが残念ながら見当たらない。

ごく普通のどこにでもいる二人が入れ替わるからこそ共感しやすい。そうなのかもしれないけれど、やっぱり瀧も三葉も既視感のあるキャラクターで、心に残る登場人物ではなかったなぁ、と振り返って思います。

そして、そこが不思議なところですね。映画ってキャラクターを好きになったら面白いって思うことが多いんです。ストーリーを観に行くんじゃなく、心揺さぶられる何かを見せてくれるキャラクターの姿を観に行くんですよ。毎回毎回「ここの伏線が鮮やか」やら、「何分で構成が切り替わるのが美しいなぁ~」というのを大多数の人間は観に行かないですよ!

要は自分を楽しませてくれる、もしくは心惹かれたキャラクターに会いに劇場に足を運んでいるんです。

なのにこの『君の名は。』はキャラクターに関してはイマイチなのに面白い!という珍しいタイプの映画だなと感じました。

ひねくれた言い方をすると、見事な宣伝だったと思います。男女入れ替わりによる恋愛映画と思って見に行ったら思いもよらない方向にハンドルを切られるわけですが、そのさじ加減が絶妙だった。後半から複雑になっていくストーリーもなるだけ台詞で説明させて、若いSFを見慣れない観客もついていけるようして、ハラハラさせて、歌で気持ちを盛り上げて、という満足を与えることによって、当初の思惑とは違った驚きによる「面白かった!」という評価にもつながるんだろうね。そして、一回じゃわからなかったけどもう一回観てもいいなって思わせる魅力がストーリーにあるんだろうなってのが私の感想です。

■半分の月ともう一つの半分

さて、ここからはまた褒めますよ。

SFということと、若い観客になるたけわかりやすくするためにちょっと台詞がのれないなってのはあったけど、ちゃんと映像で語ることもやっていましたね。

「映画なんだから当たり前だろ!」ってツッコミをされるかもしれないけれど、これをやっていない映画結構あるからね。

まず「おっ」て思ったのは月ですね。

男女二人の入れ違いがなくなった、と瀧から説明された後、一度映像は夜空の映像になって、満月が映り、それを電線らしきものが真ん中に線を引く形で張られているというシーンがあります。ちなみにラストにももう一度出てきますよ。

そして、瀧が三葉を探しに行く時のTシャツには“HALF MOON”の文字があります。つまり、今は半分側しかない世界のお話になっているってことでしょうね。この後も夜、月が映りますが半月です。

そして、瀧と三葉が再会した時、月は半月ではなくなっています。でも満月でもない。そこはどうぞもう一度観る時に自分の目でご確認を。

あと親の世代が全員片親というのも狙っているんでしょうね。三葉の父も、祖父の一葉も、瀧の父もみんな配偶者がいない。そしてこれが若いの世代たちは相手を見つけることと対比になっているあたりもよく狙った作りになっていましたね。それも相まってラストで何人もの人たちが片割れの者と繋がることがカタルシスを観客に与える効果を高めていると思います。

あぁ、あと出会う時が黄昏時ってのはいいね!古文の授業で「黄昏」の語源は「誰そ彼」が語源ですよ、という伏線もありますが、不思議なことが起きる時間に黄昏時を持ってくるというのはなんか「トワイライトゾーン」っぽくていいですね。

もう一点。ティアマト彗星から糸守町の住民を守る三葉の計画がいきなりうまく行ったことに気になった人いません?

「なんであの父親を説得できたのか?」

多分これ推測するに、三葉の父親トシキも彼の妻だった二葉と入れ替わりを経験していたんでしょう。

その根拠として、三葉の身体に瀧が入れ替わっている時にネクタイを掴まれた時の台詞「お前は誰だ?」。これかなり不自然な台詞ですよ。自分の娘に胸倉掴まれて「お前は誰だ?」は。「何をしているんだ」ならまだわかるけど。でも、彼も昔二葉と入れ替わりの経験をしていたことがあるとしたら、一人の人間が突如豹変したような現象にあった時、薄れていた記憶がよみがって、私の娘の身体に今いる「お前は誰だ?」ということになるのではないでしょうかね。

三葉の祖父:一葉が三葉の入れ替わりの様子を見て、思い出したようにね。

あと、妹の四葉は入れ替わり経験したのかな。最後に映る四葉は女子高生で三葉が入れ替わりを経験する年齢に差し掛かるか、なっているはずだ。もし入れ替わりが起こっていて、最後の一連のシーンにちょっとでもそれを匂わせるシーンが挟まれていれば(例えば、自分でおっぱいを揉んでいたりとか)、また不思議な出会いとドラマと物語があるのかも、っとワクワク要素がエンディングにプラスされるのにな…でもやっぱり瀧と三葉のお話だから余談になるのかね。

■最後のひと言

色々言ってきましたが総じて面白かったです。SF要素がこんなに強い作品だと思わず、油断していました。観ながら慌ててSFを鑑賞する気持ちにスイッチを切り替えましたが、その驚きも評価できる点だと思います。

男女入れ変わり、幻想的な空からの災厄、違った時間軸で出会うことによって芽生える恋愛と、出来過ぎの反対でありえない設定という名の糸を見事に編んで観客の心と結んだ。

タイトルの元になった往年のラジオドラマ『君の名は』はこんなナレーションで始まります。

「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」

名前は大事ですね。