不治の病を治そうとしたら不死になっちゃった主人公ウェイド。「こんな顔じゃあ、愛するベイビーに会いに行けねぇ…」。そんな彼が元のイケメンフェイスに戻るため、そしてこんな姿にした男をメッタメタにボコる為、デッドプールと名乗って暴れまわる!
■壁破って型破り特殊ヒーローがついにスクリーンに!
アメコミムービーの最終兵器とでもいいましょうか!下ネタ、エロネタ、自虐ネタ。なんでもござれのヒーローがスクリーンで大暴れ!
「大いなる力には大いなる責任が…」
「??? 俺ちゃんそんなの知らないよ、クソ無責任ヒーローですが何か?」
『エルム街の悪夢』のフレディよろしくグロフェイスからイケメンに戻りたい。なぜなら愛する彼女とラブラブライフを取り戻す為だ!ただその目的の為に敵をぶったKILL!
まぁ、話はそんなに重要じゃないよ。至極シンプルなラブストーリーだ。だからこそギャグやお遊びをてんこ盛りにできる余剰が生まれたんだろうね。
予算も大分カットされた中で他のヒーロー映画にない、デッドプールだからこそやれたお遊びが映画全体にこれでもか♡というぐらい詰め込んでいるのが吉と出た。
えっ!それまでネタにしちゃいますか?ここでもふざけますか?っていう驚きがたくさんあって、これまでのスーパーヒーロームービーでは味わえなかった楽しみがこの映画にはある。
悪ふざけもここまでくるとエンタメだ。ヒーローも映画も黒歴史もすべてオモチャにすれば楽しませる事ができることを世界規模で証明してしまった問題作品だね。
それにしてもヴァネッサを演じたモリーナ・バッカリンさん、可愛いし綺麗でしたな〜。
■時代が求めたカウンター
こんなぶっ飛んだ映画がここまでヒットするとは本当にビックリだ。
R指定の映画だったら『エクソシスト』や『パッション』並みの超ヒットだし、他のあらゆるアメコミ映画より予算は少ないのに、ほとんど他のアメコミ映画より興行成績がいい作品になってしまった(ちなみに『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』、『バットマンvsスーパーマン』よりも上です)。
でもちょっとこれまでのアメコミ映画の文脈を考えるとこんな『デッドプール』みたいな映画が表れて、ヒットするのも頷ける気がする。
その前にちょっと第四の壁について。
デップーといったら”不死”とこの能力だが、実際映画の中では意外に珍しくない。マルクス兄弟が1932年に『御冗談でショ』という映画でやっているし、黒澤明も『素晴らしき日曜日』で、アカデミー賞なら『アニー・ホール』でウディ・アレンが…などなど。実験的で型破り、だけど意外に見慣れている手法。だけど、これをこれだけ予算のかかった映画で、そしてアメコミ映画でやったというのがブレイクスルーだった。
誰かから観られているということを認識しているキャラクターというユーモラスだけど、かなり反則的で、架空の世界にある“リアリティ”を破壊してしまう危険分子だ。だけどそんな彼がスクリーンで大暴れする土壌は他のアメコミ映画のおかげで準備はできていた。
『アイアンマン』で一般的に認知されていないヒーローの人気に火をつけることの成功例を出し、『ダークナイト』ではアメコミ映画の可能性を大幅に拡大してアカデミー賞すらも変えてしまった。そして『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』では政治的な要素を隠し味にして現代の色にあった正義を描きつつエンターテイメントが共存できることを証明した。そして『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』と『アントマン』でアメコミ映画にコメディ要素が強く出ても世界観が壊さないことができることがわかった。
しかし、それでも徐々にヒーローの差別化を図るのが難しくなっていき、ヒーローの内面の葛藤を描くのも「ヒーローも一人の人間なんだ!」って感じでよかったけれど、徐々にそれも既視感があるようなものになってきている感じは否めなかった。そんなところにこの完全に自己中心的なデッドプールが出てきた。
どのヒーローとも違う新しさをまとったこの無責任野郎は半ば半狂乱的に世間に受け入れられている。
正直作品としての出来の完成度は高くない。構成とかテンポとかがちょっと気になるところがあるしね。けれど総じていうと、楽しかった。
なんかこの受け入れ方は最近の作品だと『テッド』に似ている気もするね。
ド下ネタやえげつないネタをぶち込んでも何かに包んでおけば結構ヒットすることを『テッド』は「カワイイクマさんのぬいぐるみ」で包んで証明した。そして『デッドプール』ではそれを「アメコミヒーロー」というベール、もとい!コンドームで包み込み、大ヒットを飛ばした。
最近の流れからみると、飛び出してきた理由もタイミングも、結構理想的なセッティングの下にお披露目になったと思う。そして同時に、観客たちは普通のスーパーヒーロー映画ではもう満足できなくなってきていることも示唆してるんじゃないかな…といらぬ懸念もしてしまいました。
■最後のひと言
芸能は過去の作品の流れが脈々と続き、影響し合い新しきものを生み出していく。しかしその流れが穏やかになってしまう時期がある。
一時の大きな成功により、その流れがまっすぐ続く。しかしそれに反発するような風を、荒波を、波紋を投げかけるような作品が必ず出てくる。
映画史上もっともアメコミ映画が盛り上がっている時期、確かに一級品もあるけれど飽和状態になりつつあるかもしれないこの時期だからこそ、この反則ともいえるキャラクターがスクリーンに出て大ヒットしたことは必然のような気もするし、ある意味上手く波に乗ったと思う(もちろん、努力のたまものでもありますよ!)。
大げさに聞こえるかもしれませんが、この作品はどこかフランス映画『勝手にしやがれ』にも通ずるかと思います。
ストーリーはすごくシンプルな男と女のお話。だけど映画というものを”オトナのおもちゃ”にしてメチャクチャやったり、過去の映画の引用や他の映画から堂々と影響を受けていることを見せたり、カメラ映りを気にしていたりね。
これからアメコミ映画の革命が、アメコミのヌーベル・ヴァーグ(新しい波)が起きる!…とまでは言いませんが、一つのターニングポイントかもしれないね。
フェーズ1とか2とかありますが、アメコミ映画全体としてのこれからの展開や可能性がどうやって拡がっていくかを、この作品が大ヒットしたことは確実に影響を受けると思います。
デップー、あなたは第四の壁だけじゃなく、とんでもないものを破っていったかもしれませんね。