道の駅北川はゆま

ズートピア

映画

◼︎あらすじ

ありとあらゆる動物が共存して生活している大都会「ズートピア」。そこは誰もが何にでもなり、夢が叶う場所。そこへ新米ウサギ警察官ジュディがやってくる。やがて彼女は街で出会った詐欺師ニックとズートピアの根幹を揺るがす大事件に巻き込まれてゆく…


◼︎まるで動物園のように

オープニングからスプラッター映画の殺人シーンをパロったギャグから始まり、ヌーディスト達が集うクラブでジュディちゃんが「いやぁん、エッチ!」と照れちゃうあのRZOO8(?)な下ネタ!動物だからということで嫌がらせのように股間の辺りに目を向かせるヨガを見せたりとやりたい放題!


このようなちょっと捻って、かつ尖ったギャグも今作品の見所だ。
あと、ジュディちゃんの健全な感じの太ももはちょっとヤバい!『シュガー・ラッシュ』では小さいヴァネロペちゃんのちょこまか動く様子にハートがやられちゃいましたが、今回はウサギさんにぴっちりスーツで美脚ラインだと…ディズニーは俺に何を開発させようとしてるんだ…。


子供でもわかるギャグもたくさんあるけれど、『ゴッドファーザー』『48時間』から『ブレイキングバッド』、『シンプソンズ』『ゴジラ』、しまいには『妖怪巨大女』を思わせる大きなお友達向けのオマージュも盛り沢山。


一つの映画で過去の映画だけでなく、アニメ、ドラマのネタ、政治的なメッセージまで味わえるなんて!本当に動物園のようにありとあらゆるものが集まって老若男女楽しめますよ!


キャラクターたちの魅力(特に主演二人のジュディとニック)、上京物語としての青っぽい切なさ、難事件の手がかりをタイムリミット付きで追うサスペンス、そしてディテールやちょっとした動きまで細かく描かれたズートピアの世界は圧巻だ!


でも最近のディズニーはそれだけじゃあじゃ終わらせません。
※ここから先はネタバレです。既に鑑賞してから読まれることを強くオススメいたします。


◼︎正義の心にも宿る闇

この映画は”差別”の映画だ。夢も、魔法もズートピアにはない。あるのは現実を映す鏡だ。


共存しているように見えて、根底ではお互いに異なることによって”怖い”とか、”決め付け”という色眼鏡を掛けてみていることをちゃんと描いている。子供にでもわかるように女性差別、動物種差別を映して「何かやな感じだな」というの部分部分で感じさせる。


これって現実でもあるでしょ?


そんな中をジュディは持ち前の明るさとバイタリティーで駆け抜けてゆき、なりたいものになり、努力で夢を叶えた。


しかし…
そしてこの作品の白眉はここだ。


ジュディはオープニングで女性差別も、動物差別も乗り越えて史上初のウサギの女性警察官となり夢を叶えたキャラクターとして紹介される。


しかし、そんな差別を経験し、乗り越えた彼女ですら、ふとしたことで差別をしてしまう心を持ってしまうことを描いた。


これは本当に恐ろしいことだと思う。差別をされる悲しみを知っていたとしても、差別の心がなくなるわけじゃない。たとえそれが”より良い世界に”の理念の元に行動した結果だとしても、差別は差別だ。


これを描くことから逃げなかったことが素晴らしく、『ズートピア』が単に”差別はダメだよ”という道徳的なメッセージなんかじゃなく、更に深い心の闇に目を向けたこと。これによって画期的な作品になっていると思う。


2013年に公開された『42』という野球の黒人差別をテーマにした作品では周りの大人が黒人差別をするから、それに同調して差別を始める男の子を見せるシーンがある。その後に「あっ、僕なんか正しくないことをしたかもしれない」って表情する。この差別が生まれる瞬間と反省するシーンを切り取ったことが『42』の素晴らしい所だけど、この『ズートピア』でも同じく大事な瞬間を見事に切り取った。誰でも差別の心を持っているし、簡単に表に顔を出しちゃうってことがわかる、厳しいシーンを。


◼︎最後の一言

差別という壁にぶつかっても夢を掴んだジュディと、壁にぶつかって悲しい悟り方をしてしまって夢を諦めたニック。そんな彼らが協力して、別れて、再び手を握り合う。


その姿は嬉しいけれど、この映画で描かれた闇”心に宿る差別”の根本は拭い去られていない。薬の特効薬は見つかったけど、差別の心をなくすワクチンは描かれていない。


“世界をより良くする”という理念の暴走を目の当たりにしたジュディ。そんな彼女が最後が語るメッセージは本当のめでたしめでたしの国へ続く道だ。それは夢と魔法の国でもない。そしてもしかしたら永久に叶うことのないユートピアかもしれない。


そんな超難しい宿題をエンディングに出してしまった。だからこそ、この映画は新しいディズニークラシックになる。


日本のズートピアである東京でも、ありとあらゆる国からきた人たちが生活を営み、社会の一部になっている。そしてこれから先も、どこかの国で新しいズートピアがまた生まれるだろう。『ズートピア』の世界は決してアメリカだけを映したものなんかじゃない。


だからこそ、これから先の未来で、どこかの国でこの『ズートピア』を観ても、その度に私たちははたして本当に”よりよい世界”に向かって歩んでいるのだろうか?と我々を注意してくれるサイレンをジュディとニックが鳴らし続けてくれるはずだ。