道の駅北川はゆま

『ムーラン』-鏡には写らない本当の自分を求めて

映画

ジェンダーロール、実存的問い掛け、そして鏡が反射しない本当の自分を探す旅は多くの女性だけではなくLGBT+の人々、もちろん男性も鼓舞させ続けています。ディズニープリンセス像に革命を起こした旗振り手の物語。

※ネタバレありなので既に鑑賞済みの方だけどうぞ。

■予想をひっくり返してくれるヒロイン

何と言ってもこの映画の魅力は主人公ムーランにあります。華やかなディズニープリンセス達が人気を集める一方、ムーランの行動力やかっこよさに惹かれる人も多いです。公開当時は『ポカポンタス』のポカポンタスと並んでかなり革新的なプリンセス像でしたが、今では彼女たちのフォロワーとも云えるディズニープリンセスも登場しました。その中でも未だに高い人気を獲得しています。

私がムーランを好きな理由は意表を突いた行動をして、心地よい驚きを何度も与えてくれるからです。例えば、ムーランが父親の替わりに戦場を赴くことを決意するシーンにて、ムーランは両親の眠る寝室に忍びこみ、国からの招集状をとって彼女の髪かざりのくしを置く。絵だけで彼女が女性として姿を捨てて、戦士となることを簡潔に示している点も素晴らしいですが、その時のムーランの表情がとても良いです。普通だったら悲しそうな表情、何なら涙を浮ばせてその場を去るとかさせそうですが、彼女は一切そんな表情をおくびにも出さす、むしろ微笑んで部屋を後にします。今生の別れになるかもしれないのに、自分が犠牲になることによって、これからも生き長らえてくれるであろう父とその傍に眠る母の姿を見て去ります。凄く細やかな所で、ドラマチックにみせたりもしないのです。ただ、勇敢な父親想いの娘が最後に優しい一瞥を両親に与えることによって、後に彼女が見せる行動力があって頭が切れ、ディズニープリンセス史上最も人を殺めた人間(雪崩のシーンのことです)というだけでなく、優しい心をしかと抱えていることを示しています。

最後になるかもしれない両親の姿に微笑みを投げるムーラン

また、ムーランが汗を流すために、夜中ひっそりと川で身を清めるシーンも良いですね。行水を楽しんでいると、そこに兵士三人組がやってきてムーランは慌てて身体を隠します。その時、一切照れたりとかしていないんですよね。よく他のアニメで男性から女性が身体を隠す時に頬を赤らめたりして恥じらっている要素を盛り込みますが、『ムーラン』ではそんな要素は一切ありません。思いがけない窮地に困ったりうんざりしたり嫌がっているだけです。男性にバレたら命の危険があるという強いサスペンスがあるからではありますが、性描写を匂わせることはなく、単にバレるかバレないかのサスペンスだけを描いていることも感心します。そんな要素いらねぇよと。

ハッキリ言います。ムーランはこっちが勝手にイメージするような「女性だったらこうするだろうな」という行動や所作を気持ちよく裏切ってくれるんです。これまで幾つもの映画やドラマ、アニメで見てきたような典型的なイメージを劇的にだけではなく、ささやかな動きなどによっても描いている点がとても魅力的です。昨今ではディズニープリンセスに限らず、意表性をダイナミックに見せることに力点を置いているキャラクターを海外アニメなどでよく見かけますが、それよりももっと丁寧なやり方で先に行っていました。もちろん男性像のイメージを逆手にとって意表を突かせるやり方もたくさんありますが『ムーラン』ぐらいのタッチが心地いいです。性別を描くことも大事ですが、まず人間を描写することを忘れていない。これは非常に大きな違いだと思います。

物語の最後、もう一つムーランはこちらの予想をひっくり返すような態度をとり、何度観ても涙するほど感動するのですがそれは一番最後に記します。

■ジェンダーロールからの解放

主題歌「リフレクション」については後でタップリ語るとして、この映画内で大きなテーマとなっているのはジェンダーロールです。冒頭でムーランが良い花嫁となることが娘としての務めであるというバイアスに苦しみますが、実は男性側にも男らしくあれという事が繰り返されます。

中盤にて兵士たちの訓練シーンで流れる楽曲は「I’ll make a man out of you」、訳すと「お前を男にしてやる」(日本語タイトル:闘志を燃やせ)で、日本語吹替えの歌の場合は、訓練を乗り越えて強くなれ!という歌詞ですが、原語版では「男になれ!男だろ!」という男らしさをたぎらせるんだと鼓舞する内容です(日本語字幕版ではかなりちゃんとその辺りを訳してます)。具体的にはコーラスで何度も何度も“be a man”(男になろう)と歌われる個所などです。わざわざ上半身裸になって筋肉質な身体を露出しているリー・シャン隊長とチビなヤオ、ガリガリのリン、太っちょのチェンの兵士三人組も求められる男性像の対比になっています。お粗末な隊員たちと戦闘経験が一切ないムーランが訓練を通して様になってゆく様子をカッコいい楽曲でモンタージュで見せるのは『ロッキー』シリーズのトレーニングシーンのようでアガるポイントではありますが、ムーランという存在がその中にいることで強くなれ!の中に男になれ!という視点が否応なしに盛り込まれていることが浮き彫りになるのが興味深いです。

実はこれが終盤に効いてきます。敵のシャン・ユーが皇帝陛下を捕虜にして籠城した際に、ムーランたちが城に潜入する際の作戦は、兵士三人組を女装させることでした。これはムーランが男装したことと対になってもいますが、その時かかっている楽曲が「I’ll make a man out of you」です。ここでは日本語訳では中盤の歌詞と統一性を保つために“be a man”「男になろう」と訳されていますが、実際ここの“be a man”やタイトルの“a man out of you”は男女を問わずに“正しいことをする人となれ”という意味だと思います。女装している男性三人を映しながら「男になれ!」というよりも、正しいことややるべきことをする際に姿、性別など関係はないと。他の性別の姿を通して男性三人組は活躍をし、ムーランは本当の自分とは何かを探す旅から自分のなすべき事をする強さを示します。

女装しているのに「男になろう」との歌詞

『ムーラン』より少し前の映画ではダスティン・ホフマン主演映画『トッツィー』にて売れない役者が女装して女性を演じることによって人気を博してゆくコメディ作品の中で、男性が女性の立場を経験することによって人間的に成長する姿を描いています。

女らしさや男らしさなどの社会規範や世間の常識などから生まれた役割上ではなくとも、正しい行いはできることを女性だけではなく、男性にも提示していると思います。

■自分が他人のように思える人に

さて、ディズニー史上トップクラスの素晴らしい楽曲「リフレクション」についてです。

何度見ても作中の「リフレクション」の音楽が流れるシーンは惚れ惚れしますね。美しい旋律、女性として娘としての望まれる生き方を上手く歩めない悲しみを調べにのせつつ、それが実存主義的問いかけにも通じる奥深い歌詞、そして曲タイトル通りに水面や綺麗に磨かれた墓石に反射する(リフレクト)するムーランの寂しそうな表情を写す演出と、何度観ても琴線を震わせてくれます。たった一分半ほどで! 演出面ではお化粧をかなり性能の高いメイクリムーバーこと袖で拭い去った後に幾つもの墓石にいくつも映っているシーンが素晴らしいです。なぜならこれは過去からしきたりを表す存在、つまり先祖の墓石からも女性としての役割を果たせというプレッシャーがかけられていることを示唆しているからです。

墓石に写る自分のムーランの困惑した表情

「リフレクション」の捉え方は変容していっています。公開当時は結婚や良き娘、妻になるように強いられるバイアスに思い悩む心内を吐露した歌詞に、多くの女性が共感したと思います。そして作中に繰り広げられるムーランの勇ましい活躍にたくさんの勇気をもらえたことでしょう。

しかし昨今ではLGBT+の方々の胸にもこの歌は強く響く曲になっています。歌詞にある「鏡の中にいるのは誰?」や「本当の自分になろうとしたら、家族を傷つけてしまうかもしれない」「いつか私の本当の姿を鏡は映し出してくれるのでしょうか」などの部分が本当の自分の姿を社会規範や周りの人間の意見の為に、表に出せずに苦しんでいる人々の心を揺さぶり続けています。恐らくは公開当時にもこのようなメッセージをこの曲から受け止めた人々がいたと思いますが、ここ数年になってYouTubeなどのコメントによって可視化され始め、おかげでこの曲の力強さと優しさを知ることができてより好きになりましたね。

余談ではありますが、似た現象として興味深いなと思うのはカルチャー・クラブの「カーマは気まぐれ』(または、「カーマ・カメレオン」)ですね。歌詞を聞いただけでは、恋人に振り回される人の気持ちを綴った歌詞に聴こえますが、ボーイ・ジョージ(カルチャー・クラブのボーカル)がゲイであり、彼がバンドメンバーとの秘めやかな同性愛のことを知るとこの歌は同性愛者からの視点も盛り込まれていることがわかります。しかし、このような情報がなくても、この唄の歌詞(特に一番からサビ)は非常に自分の本当の姿をさらけ出すことが怖かったり、マイノリティ側で悩んでいたり、社会的バイアスに苦しんでいる人には違ったように聴こえた事でしょうから。

カルチャー・クラブ「カーマ・カメレオン」

また、私とは何か?という実存的問いかけにも繋がっている点も見逃せません。ムーランはディズニープリンセス史上初めての実存主義者だと私は考えています。実存主義の考え方の基本に、サルトルの「実存は本質に先立つ」という有名な言葉があります。我々人間は自分の意志によって自己を作り上げることができるという考え方です。ペーパーナイフは紙を切る為に作られ、そして存在しています。しかし、私たちはそのような物とは違って与えられた役割から自由である、言い換えれば自分で見出すように処されているのだという主張です。自分の与えられた存在や世界に疑問を持ち、そこから離れようともがくキャラクターは『シュガー・ラッシュ オンライン』のヴァネロペに引き継がれます。詳しくは以前書いた『シュガー・ラッシュ オンライン』レビューにて。

ムーランは社会規範から離れ、男装して戦場に赴くことによって本来与えられなかった役割を担い果たします。ムーランは自らの意志によって、男性の姿を装って女性が行うとは考えられなかった行動をし、だけれども最後はちゃんと自分の姿で目的を果たしているところが感動的です。その間に男性社会を内側から、つまり男性として通して視ているという点も興味深いですね。男装して軍隊に入る要素は伝えられている伝説に則り、そしてそこからサスペンスやユーモアを生ませていますが、違った視点を経験することは人を成長させる礎になり得ると示唆しているようで、単なる面白みだけに留まっていない所もいいなぁと。

■最後に

ムーランは作中何度も何かに写った自分の顔を見つめます。序盤では鏡、水面、綺麗に磨かれた墓石、そして鞘から抜き取った時の剣に反射する勇ましい顔。序盤の困惑、失望、憂鬱のものと対照的になっており、すでにここでムーランの顔を反射させる演出は完結しているようになっているのですが、映画の終盤、女性だとばれて軍隊から追い出された後、もう一度彼女は兜に反射する悲しそうな自分の顔を見ます。男装し、男性のようにふるまって、男性らしい活躍をしても彼女は自分が求めた答えを見つけることはありませんでした。

その後は、ムーランは自分の姿のままで目の前にあるできること、やるべきことを知恵と勇気と仲間の力と共に成し遂げます。私にいつも涙を流させるのは国中の人間がムーランの功績に対して跪く時に、彼女が凄く困惑している姿です。彼女は別に誰かから認められたいとか、尊敬されたいだとかは一切考えていなかったのでしょう。だとしたら、誇らしい表情をするはずなのにとてもうろたえてオロオロしています。そんな彼女の真摯な“自分を探す旅”への姿勢にいつ観ても感動し、見上げた魂だと仰ぎ見ます。この意外な人物が大いなる尊敬を国中から得るシーンは『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』のラストに小さなホビットたちがアラゴルンから“You bow to no one”(そなたらは誰にも跪くことはない)と言葉を掛けられ、彼と民衆が膝まずくシーン同様、揺さぶられます。

とまどうムーラン

父の命を救おうとしただけなのに、はからずして国の英雄となったムーラン。しかし、それよりも彼女にとってそれらよりもっと大事な“自分を見つけるための旅”はどうなったのか。ムーランはその後作中でもう鏡に写った自分の姿を見て憂いたり、偽ったり、そして満足そうな表情を浮かべることなどしていません。

なぜなら、本当の自分は鏡の反射の中にではなく、自分の力を証明するという行動によって見出すことができたのだから。